凹むこととHappyなことの収支を取る

作家の森博嗣(MORI Hiroshi)さんのBLOGから。
秋葉原の事件についてのエントリーに共感できる部分が。


このBLOGでは基本的に楽しい事を書くようにしてますが実際には色々凹むことや失敗したなと思うことが毎日あります。森さんが書いている通り、人生ってその繰り返しですよね。うちの父親曰く「人生、30代は胸突き八丁だぞ」と…。


小から大からいちいち凹んでいたら切りがないのです。
一つ失敗すると気落ちして更に失敗したりします。
#トルコに大逆転食らったチェコのように(w


反省は必要ですが自分が元気無くなってきたなと思ったら意識的にHappyなことで収支を取るようにしています。


http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/06/post_1935.php

 少しだけ補足して書く。自殺や犯罪という破滅的結果に至った場合、その理由として、いろいろなことがクローズアップされる。しかし、そういったマイナスの理由は、ほとんど誰でもが多かれ少なかれ持っているものだ。だから、そのマイナス要因だけですぐに破滅に至るのではない。そうではなく、それに釣り合うようなプラス要因が足りなかったために、バランスを崩すのである。多くの人が普通に生きていられるのは、マイナスもあるけれど、プラスもあるからなのだ。


 したがって、マイナス要因ばかりに目を向けて、たとえそれを逐一排除できたとしても、たぶん問題は解決しない。たとえば、いじめの問題がクローズアップされ、数々の対策が打たれた。さて、自殺者のトータル数は減ったのだろうか? たとえ、いじめが原因の自殺者が減ったとしても、それで問題を解決したといえるだろうか?


 おそらく、プラスが不足している人は、1つのマイナスが消えても、すぐに新しいマイナスを見つけてきて、落ち込んでしまうだろう。


 夫婦仲が悪く、仕事も上手くいかなくて、借金は増え、子供たちもにも見放され、友達もいない、信頼できる人は死んでしまい、どん底の状態だ、という場合に、夫婦仲を戻す、仕事を上手くいかせる、借金をしない、子供たちに戻ってきてもらう、友達を作り、新たに信頼できる人を探す、というようなことをすべて実行するなんて到底不可能だ。だから、もう駄目だ、と思い詰めている。そういう人が、たとえば、子犬を一匹飼うだけで、一時的にでも問題が解決するかもしれない。この「一時的」が大事である。僕は、生きるということは、そういうものだと感じている。