同意同意!「お稽古事をする目的」

内田樹先生のブログで良いことが書かれていたので紹介。(後で書く)

http://blog.tatsuru.com/2009/06/01_0927.php

失敗の効用

しかも、これだけストレスフルな経験でありながら、舞台上でどのような失敗をしようと恥をかこうと、それは私どもの実生活には何の関係もないのである。
私たちの失敗や不出来は誰にも迷惑をかけない。
それで命を取られることもないし、失職することもないし、減俸されることもないし、家族や友人の信頼や愛を失うこともない。
何の実害もないのである。
--中略--
植木等の歌に「小唄、ゴルフに碁の相手」で上役に取り入って出世するC調サラリーマンの姿が活写されているが、1960年代の初めまで、日本の会社の重役たちは三種類くらいの「お稽古ごと」は嗜んでおられたのである。
なぜか。
私はその理由が少しわかりかけた気がする。
それは「本務」ですぐれたパフォーマンスを上げるためには、「本務でないところで、失敗を重ね、叱責され、自分の未熟を骨身にしみるまで味わう経験」を積むことがきわめて有用だということが知られていたからである。
本業以外のところでは、どれほどカラフルな失敗をしても、誰も何も咎めない。
そして、まことに玄妙なことであるが、私たちが「失敗する」という場合、それは事業に失敗する場合も、研究に失敗する場合も、結婚生活に失敗する場合も、「失敗するパターン」には同一性がある、ということである。
--中略--
素人がお稽古することの目的は、驚かれるかもしれないが、その技芸そのものに上達することではない。
私たち「素人」がお稽古ごとにおいて目指している「できるだけ多彩で多様な失敗を経験することを通じて、おのれの未熟と不能さの構造について学ぶ」ことである。